かつて「半導体王国」とも呼ばれた日本。
1980年代には、世界の半導体売上ランキングの上位を日本企業が独占し、世界市場の50%以上を握っていました。
しかし、あれから約40年──
今やその面影は薄れ、日本のプレゼンスは大きく後退しています。
その一方で、台湾・韓国・米国の企業は着実に技術とシェアを伸ばし、
“半導体覇権”の中心に立つ存在へと変貌を遂げました。
なぜ日本はここまで後れを取ってしまったのでしょうか?
どこで何を見落とし、他国は何を見ていたのか?
そして、ラピダスのような新たな挑戦は、過去の教訓をどう活かそうとしているのか──
この記事では、日本半導体産業の「栄光と失速」、
そして世界がそこから何を学び、日本が再び歩み出すために必要な視点は何かを、やさしく、ていねいに読み解いていきます。
1.かつて世界をリードしていた日本の半導体産業
今ではあまり語られることのない話かもしれませんが、
1980年代、日本の半導体産業は“世界一”の座に君臨していました。
NEC、東芝、日立、富士通、三菱電機──
当時の世界半導体売上ランキングのトップ10には、これらの日本企業が5社以上ランクイン。
1988年には、なんと世界シェアの約50%を日本が占めるという圧倒的な存在感を放っていたのです。
その強さを支えていたのは、国内に根付いた「ものづくりの文化」と、垂直統合型の製造モデル。
材料開発・回路設計・製造・パッケージングまでを一貫して自社内で完結させることで、品質の高さと安定供給を実現していました。
さらに、当時の政府や通産省(現在の経済産業省)も、産業政策として半導体を支援し、
官民一体で研究開発を進める体制が構築されていたことも、勢いを後押しする大きな要因となっていました。
例えば、1970年代から始まった「VLSIプロジェクト」は、国が主導する形で企業横断的な技術開発を推進し、
微細化技術や装置の国産化においても、世界をリードする成果を生み出しました。
つまり、あの時代の日本には、
- 技術力
- 製造力
- 政策の後押し
- グローバル市場への展開力
といった成功要素が、奇跡的なバランスで揃っていたのです。
この黄金時代の経験は、ラピダスやLSTCといった新たな国策企業の原点でもあり、
同時に「なぜ、あの強さを持ってしても衰退してしまったのか?」という問いに、深く関わってくるのです。
2.なぜ失速したのか?“3つの転換点”にあった落とし穴
あれほど強かった日本の半導体産業が、なぜここまで後退してしまったのか。
その理由はひとつではありません。
複数の要因が重なり合い、「気づいたときには手遅れだった」という状態に陥ってしまったのです。
とくに大きな“転換点”といえる出来事は、次の3つでした。
① アメリカとの“貿易摩擦”と市場の締め出し
1980年代、日本の半導体メーカーが急成長したことで、
アメリカでは「日本製が安くて性能も高い、これは脅威だ」という声が強まりました。
その結果、1986年に日米半導体協定が結ばれ、
日本企業は米国市場での販売を制限され、さらに価格も監視されるようになります。
また、日本国内でも外国製(とくに米国製)のシェア拡大を約束させられ、
“外圧”によって日本企業の自由なビジネス展開は大きく制限されることになったのです。
これは日本企業にとって、**「技術で勝って、ルールで負けた」**最初の経験だったかもしれません。
② 技術構造の変化に対応できなかった
1990年代に入り、半導体業界では大きな技術のパラダイムシフトが訪れます。
それは、「設計(ファブレス)」と「製造(ファウンドリ)」の分業化です。
従来は、自社で設計して自社で製造する“垂直統合型”が主流でしたが、
この頃からアメリカのファブレス企業(QualcommやNVIDIAなど)が急成長し、
それを支える台湾のTSMCのようなファウンドリ企業が登場したのです。
日本企業は「設計から製造まで一貫して自社でやる」スタイルを貫いていたため、
スピード感やコスト競争で遅れを取り始めたのです。
③ 国内政策の“手放し”と、産業構造の見誤り
1990年代後半から、国の産業政策は「民間に任せる」方針へと大きく舵を切りました。
政府による支援や横断的な研究体制は縮小され、
「企業努力で何とかしてください」という空気が広がっていきました。
しかし、半導体産業はインフラに近い存在。
長期的な視点と、国全体での技術投資が必要な分野です。
この“手放し”の姿勢が、結果的に民間任せでは立て直せない土台の崩壊を招いたとも言われています。
これら3つの転換点は、それぞれ単独でも大きな変化でしたが、
同時期に起こったことで「日本型半導体モデル」は一気に時代遅れのものとなってしまいました。
そしてその間、他国はその“転換点”をどう見ていたのでしょうか?
3. 台湾・韓国・米国は何を見て、何を学んだのか?
日本が「設計から製造まで自社で抱える」ことにこだわり、転換の波に乗り遅れた一方で、
台湾・韓国・米国は、それぞれの立場で着実に半導体戦略を進化させていきました。
🇹🇼 台湾:TSMCという“黒子の革命”
台湾のTSMC(台積電)は、1987年に政府と企業が連携して設立されたファウンドリ(受託製造)企業です。
この会社は、「自分たちは設計しない。他社が設計したチップを、最高品質で製造する」というスタイルに徹しました。
それにより、Apple・Qualcomm・AMDなどの設計専門企業から絶大な信頼を獲得し、世界の製造拠点となったのです。
TSMCが学んだのは、「自前主義にこだわらず、相手の強みを支える立場に徹することで、逆に市場の主導権を握れる」ということ。
そして今では、2nm・3nmといった超先端プロセスで世界の最先端を走る存在に。
“目立たないが不可欠な存在”として、世界の半導体地図を塗り替えました。
🇰🇷 韓国:国家主導の一点集中
韓国の半導体戦略は、**「一点突破」+「国家ぐるみ」**でした。
サムスン電子は1990年代以降、政府の支援を受けながらDRAM(メモリ)とNAND型フラッシュメモリに経営資源を集中。
品質向上と量産力の強化に注力し、やがて世界トップシェアを獲得します。
また、研究開発費や設備投資に対しては国が巨額の補助金を出し、
「政府が守るから、企業は攻めていい」という大胆な成長モデルを展開しました。
日本が民間任せになっていった頃、韓国は逆に“国家が背中を押す”フェーズに入っていたのです。
🇺🇸 アメリカ:分業とスタートアップの生態系
アメリカは、半導体の“起源”とも言える国。
1980年代以降は、製造から設計にシフトし、スタートアップによるイノベーションが次々に誕生しました。
Qualcomm、Broadcom、NVIDIAなどのファブレス企業が台頭し、
設計に特化することで独自のアーキテクチャや応用分野を広げていきました。
そして彼らを支えたのが、分業体制と大学・VC(ベンチャーキャピタル)を中心とした技術コミュニティの存在です。
つまり、アメリカは「スピード」と「再発明の力」で、日本とは違う形の強さを育てたのです。
これらの国々が学び、実行したのは――
- 柔軟な分業戦略
- 国家と民間の役割分担
- 失敗を恐れずに投資を続ける文化
日本の失速をただの“衰退”と片付けず、“学びの材料”として活かしたことが、いまの差になっているのかもしれません。
4. 日本が学び直すべき視点とは?
日本の半導体産業は、かつて世界をリードしていました。
しかし、時代の転換点で立ち止まり、柔軟に変化できなかったことが、現在の立ち位置に直結しています。
では、ラピダスのような“新しい挑戦”を進める今こそ、日本が学び直すべき視点とは何なのでしょうか?
① 「すべてを自前で」はもう通用しない
過去の成功体験のひとつに、「垂直統合=最強」という思想があります。
設計から製造、パッケージング、販売まですべてを一貫して行うことが信頼性の証とされていたのです。
けれど今、世界は“分業と連携”の時代。
TSMCのように製造に特化する企業が成功し、NVIDIAのように設計だけで世界をリードする企業もある。
つまり、“強みを絞る”ことが、結果的に生き残り戦略になっているのです。
ラピダスがテンストレントと組んだことも、日本がこの柔軟な視点を取り戻そうとしている兆しかもしれません。
② 国が“プレイヤー”になる覚悟
これまでの日本は、「民間主導・政府は支援役」という立ち位置を守り続けてきました。
でも今、半導体は「国家の生命線」と言われるほど、経済も安全保障も左右する存在になっています。
TSMCを支える台湾政府、サムスンを押し上げた韓国政府、CHIPS法で巨額投資を決めたアメリカ政府。
いまや世界では、「国家が当事者」として動いているのです。
日本もまた、“産業を支えるだけでなく、一緒に育てていく”覚悟が求められています。
その象徴が、ラピダスに対する1兆円規模の支援なのかもしれません。
③ “長期的視点”と“社会全体の理解”を
半導体産業は、すぐに成果が出るものではありません。
数年〜十数年単位での投資と人材育成が必要です。
だからこそ、今の動きを一過性で終わらせず、社会全体が「続けることの意味」を理解する必要があります。
「税金の無駄遣いだ」「企業だけが得をする」
そんな表面的な議論ではなく、
“未来の社会インフラをつくっている”という視点で、政府・企業・国民が連携できるかどうか。
それが、日本がもう一度世界と向き合うための、最初の一歩になるのではないでしょうか。
5. まとめ・読者への問い
1980年代、日本の半導体産業は世界の頂点に立っていました。
そして2020年代の今、その面影は静かに消えつつあります。
しかし、かつての失敗や遅れは、もう“過去の話”で片付けるべきではありません。
台湾・韓国・米国が、日本の歩みを観察し、学び、そこから独自のモデルを築き上げたように──
日本にもまた、学び直し、再構築する力はあるはずです。
ラピダスの挑戦、テンストレントとの提携、政府による1兆円規模の支援。
今まさに「第二のスタート」が切られようとしています。
この挑戦が“過去の反省”で終わるのか、
それとも“未来への一歩”になるのかは、私たち一人ひとりの関心と理解にかかっています。
技術を育てるのも、支えるのも、つながるのも、結局は「人の意思」だからです。
🔎 あなたはどう思いますか?
- 過去から、どんな教訓を引き出せそうですか?
- 今の日本の戦略に、何を期待しますか?
- そして10年後、半導体の未来を誰と、どこで、どう迎えたいと思いますか?
小さな問いかけの中に、次の時代を変えるヒントが眠っているかもしれません。
📝 次回予告|「AIアクセラレータ」とは何か?半導体の未来を加速する“頭脳チップ”の基礎と可能性
日本の再起戦略の中で、テンストレントが開発する「AIアクセラレータ」という言葉がよく登場します。
次回は、その仕組み・用途・世界の競争環境までをやさしく解説。
ジム・ケラー率いるテンストレントが、なぜ日本との提携を選んだのかにも迫っていきます。
🔍 参考リンク・資料一覧
経済産業省|半導体・デジタル産業戦略(2021年6月)
📎 https://www.meti.go.jp/press/2021/06/20210604001/20210604001.html
経済産業省|次世代半導体技術の研究開発拠点整備事業について(LSTC)
📎 https://www.meti.go.jp/press/2023/02/20230201002/20230201002.html
内閣官房|経済安全保障の推進(国家戦略)
📎 https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/keizai_anzen_hosho/index.html
日本経済新聞|なぜ日本の半導体は敗れたのか(特集記事)
📎 https://www.nikkei.com/telling/DGXZQOUC168K70W2A810C2000000/
日経クロステック|ラピダスの挑戦と日本の再起(2023年特集)
📎 https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/02457/
SEMI Japan(半導体産業団体)|世界の半導体製造分業の現状
📎 https://www.semi.org/jp/news-resources
Bloomberg|TSMC、サムスン、米国CHIPS法の概要と支援戦略(英文)
📎 https://www.bloomberg.com/news/articles/2023-04-14/tsmc-chips-investments
Tenstorrent 公式プレスリリース|ラピダスとの提携発表(2023年11月)
📎 https://tenstorrent.com/press/rapidus-partnership